栃木市の遺跡・史跡
【市指定史跡】平安末~鎌倉時代に活躍した第2代小野寺城主道綱の墓
保元元(1156)年、小野寺義寛が小野寺城築城。その子道綱は二代城主で、治承4(1180)年平等院の戦いで平知盛軍に加わり勇名を轟かせました。鎌倉幕府の要職を歴任しましたが、承久3(1221)年68歳で京都宇治橋の合戦にて討死しました。
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◇小野寺禅師太郎義寛 中世豪族で源氏譜代の家来として源為義に仕え、戦功がありこの地を与えられ、小野寺氏を称するようになりました。保元元(1156)年、小野寺城を築城。 |
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◇小野寺禅師太郎道綱 義寛の子、父・義寛の後を継ぎ城主となり中務丞禅師太郎と称しました。 |
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◇小野寺城 小野寺城館跡は、東西約324m・南北約198mの「回」の字をしており、明治の頃は土塁の一部も残っていましたが、東北自動車道建設のために消滅しました。 |
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- 小野寺3
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栃木市文化財の小野寺禅師太郎道綱の墓を見に行きました。源頼朝の御家人になるなど活躍しましたが、承久の乱の宇治川の戦いにおいて戦死し、討ち取られた首は猶子秀道と道業が小野寺まで塩漬けにし持ち帰ったと伝わっています。東北自動車道の建設によって完全消滅した小野寺城跡の一角に現在も眠られています。 (訪問:2019/08/17)
掲載:2019/11/04"ぐッ"ときた! 24人
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